東京の六大問屋街(準備中)

東京には、長い歴史を持った問屋街が多数残っています。

東京日暮里繊維街
にっぽり繊維街はJR「日暮里駅」の噴水広場から右斜めに伸びる日暮里中央通り(バス通り)を中心に両側約1キロにわたり、和装、洋装、紳士・婦人服地、綿、プリント、合繊維物、ボタン、ビーズなどの生地織物に関する全ての商品を販売する61店舗が軒を連ねる地域である。「布の街」として知られるにっぽり繊維街は卸問屋街であるが現在ではほとんどの店舗が小売りをしており、その豊富な品揃えと安さに客層は専門業者、ソーイングが趣味の主婦、服飾専門学校の生徒である。最近ではこの地域に既製服の激安店も参入し、若い女性や学生で賑わっている。「ニポカジ」という新しいファッション・スタイルを考える店舗も増えており若い世代にも好評である。「ニポカジ」は「ニッポン カジュアル」と「ニッポリ カジュアル」の造語であり、日暮里(ニッポリ)を 日本(ニッポン)のカジュアルの中心にしたいという願いが込められている。「ニポカジ・スタイリスト」も増えつつある。

にっぽり繊維街は大正時代の初めに浅草界隈で営業していた古布や裁ち落としを取り扱う業者が「地域一帯を市街化する」という行政指導により当時まだ閑散としていた日暮里、三河島周辺へ移動して誕生した。ハギレ、裁落、2等品(B・C反)或いは 縫製工場から出る余剰反等を仕入れ販売をしていた。昭和12年の日中戦争と昭和16年の太平洋戦争により物資不足のため終戦まで営業を停止したが終戦とともに軍の隠退蔵物資、進駐軍の払い下げ品、アメリカ古衣料、羅紗裏地、ハギレ等の販売を再開した。昭和44年12月には東京日暮里繊維卸協同組合が結成された。約20年前の最盛期には約90店舗が軒を連ねたが不景気や裁縫人口の減少で今は約61店舗になっている。東京日暮里繊維卸協同組合はにっぽり繊維街の活性化事業の一つとしてにっぽり繊維街で生地を購入した人が参加できる服飾デザインコンテストを開催している。その名も「パリコレ」ならぬ「ニポコレ」デザインコンテストであり、若手のデザイナーが日暮里から誕生し、にっぽり繊維街が世界のファッションの発信基地になる日も近いかも。

にっぽり繊維街の散策には東京日暮里繊維卸協同組合が作成した「にっぽり繊維街マップ」が便利である。JR日暮里駅、駅前交番や店舗で無料配布している。駅付近の駐輪場の案内掲示板、通りや店舗には「布の街」「布の道」と書かれた旗が下がっているので目印になる。

にっぽり繊維街へのアクセスは日暮里駅(JR山手線、京浜東北線常磐線、京成線)南口から徒歩3分、鶯谷駅(JR山手線、京浜東北線)北口から徒歩5分、三河島駅(JR常磐線)改札口から徒歩5分である。

かっぱ橋道具街
かっぱ橋道具街は、明治時代末期から大正時代初期に古道具屋の集まりから発生し、第二次世界大戦後に主に料理飲食店器具や菓子道具を販売する80年以上の歴史のある商店街へと発展しました。現在は、和、洋、中華食器、漆器、和洋菓子機器、厨房設備器具、ショーウインド、和洋家具、店舗装備デザイン施工、サンプル、看板、食料原材料、包装用品等を取り扱う170店舗強から構成される800メートルにも連なる世界でも珍しい専門店街です。かっぱ橋道具街は、東京の上野と浅草のほぼ中間地点に位置し、下町の気さくな雰囲気と品質の良さと品揃えの豊富さが自慢です。そして楽しくお買い物のできる街です。一流ホテル旅館からご家庭の主婦まで、様々なお客様のご要望にお応えできる“満足道具のあふれる街”かっぱ橋道具街へ是非お越しください。

東京問屋街
東京都中央区の「横山町・馬喰町・東日本橋」地区は、通称「東京問屋街」と呼ばれ、江戸時代から続く歴史のある老舗問屋街として知られています。今ではおよそ1500に及ぶ卸商社や店舗が軒を並べる『日本最大の問屋街』です。 各商社では衣料品・ファッション雑貨・生活雑貨・文具をはじめ、生活のあらゆるシーンを彩る多彩な商品をタイムリーに取り扱っており、日本全国の小売店を中心に大勢の得意先が仕入れに訪れ、毎日が活気にあふれる“商業の街”です。

「協同組合東京問屋連盟」は、昭和23年(1948年)1月に産声を上げて以来、半世紀を超える歴史を持つ卸売り業社の団体(法人)です。中央区の横山町・馬喰町・東日本橋地区と、隣接する千代田区台東区の卸売り商社(問屋)を中心に、ひろく東京都一円の卸商社約210社で結成されています。加盟商社が協力して活発な事業を繰り広げながら、商品の取りそろえ機能や小分け機能、物流機能など、時代の流れに即した問屋機能を最大限に発揮し、全国屈指の卸売団体として流通の要の役割を担っています。

協同組合東京問屋連盟では、昭和25年よりサービス日を制定し、「連盟サービス券」を発行進呈してきました。現在は月曜日から木曜日まで平均毎月2回、年間22回の大売り出しを実施しています。お客様にはお買い上げ額に応じてサービス券が進呈され、連盟主催の各種イベントへの参加、お食事、宿泊、駐車場利用など、幅広くご利用いただいて好評を博しています。また、仕入れ専用カード「れんめいカード」の会員になると、加盟店でカードを提示しサインをするだけでお仕入れができるほか、カードナンバーだけで電話注文もできるなど、多くのメリットがあります。
このほか、機関紙『問屋連盟通信』による共同宣伝、労務管理社員教育、各種講演会、レクリエーション、斡旋業務など、組合としての幅広い事業を展開しています。今後も新しい時代の問屋街を切り開いていくため、若い経営者を中心に企画開発に力を入れ、新事業の展開を図っていきます。

築地場外市場
築地魚河岸は、東京都中央区築地にあります。河岸は隅田川に面していて、陸側のお隣は銀座です。都会的な洗練された銀座から、ほんのわずかのところに、江戸前の雰囲気を残した、威勢のいい活気溢れる市場があります。

このホームページのタイトルでもある「築地魚河岸」は、築地の市場周辺全体を指し示していますが、市場は大きく2つのエリアに分かれています。
一つは、「東京中央卸売市場」。これは都が運営しているもので、皆さんおなじみの「競り」をやっているところです。一般の人が見学することは可能ですが、競りに参加して何かを買い求めることはできません。もうひとつは、「築地場外市場」。場外というのは、中央卸売市場の外にある市場、という意味ですが、ここは民間の業者が多数集まって構成されています。小売りも行っている業者が多いので、一般の人が買い物することもできます。「場内」(中央卸売市場の俗称)から仕入れたばかりの魚が、そこでは売られているわけです。また、一般の人も卸し売り並みの値段で買うことができるのというのも、多くの買い物客が訪れる理由の一つです。

ちなみにこのホームページは、場外の組合組織である「築地場外市場商店街振興組合」のオフィシャルサイトになっていますが、場内のホームページは社団法人築地市場協会が運営しています。

浅草橋・蔵前問屋街

日暮里菓子玩具問屋街
上野、錦糸町とともに東京の三大駄菓子問屋街と呼ばれ、最後まで残っていた荒川区日暮里の駄菓子屋横丁は平成19年に開通予定の新交通システム「日暮里・舎人(とねり)線」の整備工事などに伴い、8月末で取り壊されことになった。日暮里の駄菓子屋横丁は終戦後の闇市で玩具や駄菓子を売る露店を一箇所に集められでできた。昭和27年の区画整理によって現在の路地裏の長屋のような店舗になり、昭和30年代から50年代は大繁盛した。駄菓子屋横丁、あるいは駄菓子屋問屋街の愛称で呼ばれているが正式名称は「日暮里菓子玩具問屋街」である。最盛期の50年代には97軒もの問屋が軒を連ね、関東各地の駄菓子屋が仕入れに訪れた。昭和27年に砂糖の統制が解除されると大手メーカーが競って菓子を増産し始め、更に少子化に伴い国内各地の駄菓子屋が次第に閉店するとともにここの問屋も急激に減少した。現在では7問屋が狭い路地の両側で軒を並べて営業している。8月末に2問屋が閉店するので残り5問屋が新しい再開発ビルの中で営業を行う予定。